Member:01
Producer
Takahashi Yuka
高尚な志望動機もないままに
飛び込んだTV業界で、自分の得意を活かしてプロデューサーに。
特別テレビが好きなわけではなかった学生時代
子どもの頃は正直、テレビっ子ではありませんでした。ひょんなことから大学生時代に劇場スタッフのアルバイトを始めたことがきっかけで、次第にエンタメの裏方の仕事に興味を持つように。自分も観る側から感動を与える側になりたいと思ったんです。
そのため就活ではテレビ局や舞台制作などのマスコミ業界を片っ端から受けましたね。なかなか内定をもらえず苦戦しましたが、代表取締役の宮﨑がまだ当社を設立する前の会社で無事に内定をもらえて入社しました。その時の面接で、宮崎さんに「どういう番組を作りたい?」って聞かれたものの、明確に答えられなかったことを今でも覚えています。「これは落ちたかな」と思いましたが、「やっていくうちにきっと自分が作りたいものが見えてくるよ」と言っていただけたのが嬉しかったです。
初のロケが無事に終わった時の感想は
「これでやっと寝れる」
入社前から楽な仕事ではないと覚悟していましたが、それでもやっぱり帰れない・寝れない日々が続くのはキツかったです。しかも当時は4日間の研修の後すぐにチームに配属となり、ADとしてありとあらゆる雑務を行っていました。たとえば、撮影現場を借りれる場所をタウンページ(!)で探して片っ端らから電話したり、当時はGoogle Mapもなかったので地図をコピーして切って貼りつけたり、大量のダンボールを集めてきたり。業務というより作業でしたね。初めて携わった番組の撮影が無事に終わった時には、感動も何もあったもんじゃない。「ああ、これでやっと寝れる」と思っただけでした(しかもその後も撤退作業に追われて寝れなかった)。でも時間が経つほどにじわじわと達成感が湧いてきましたね。
あ、こんな話をすると引いちゃいますよね。大丈夫!当時から20年以上経った今は、この業界もかなり働き方改革が進んできました。残業や休日出勤が全くないと言えば嘘になりますが、当時に比べれば勤怠管理がしっかり行われているので安心してください。
自分の向き不向きを探りながら
将来のキャリアを模索
入社から3年目でADと兼務でディレクター業務も担当するようになりました。ディレクターとして番組企画や現場の指揮を執るのも面白かったのですが、自分にはプロデューサーとしてチームを動かしていくほうが向いていると考え、28歳ぐらいからプロデューサーを目指すことに。同僚の中には制作進行やリサーチャーに転身した人、構成作家を目指している人もいて、こうした将来の方向性がたくさん広がっているのはこの業界の魅力だと思います。
そんな私ですが、実は辞めようと思ったこともたくさんあります。でも結局、楽しいんですよね。入社前はそんなにTVが好きなわけでもなく、「作りたい番組」も特になかった私ですが、今ではプロデューサーとして企画や管理、交渉などを行うまでに成長しました。あと、同期の存在も大きかったと思います。辛い時も困った時もお互い励まし合いながらこれたことが、ここまで辞めずにこれた一番の理由かもしれません。
みんなで面白いことをやりながら
大きくなっていく
当社はまだ3年目の新しい会社。年齢層は20代〜50代までと幅広く、半数以上が女性スタッフ。年齢や性別に垣根がなく、フラットで和気あいあいとした雰囲気があります。また、ゴルフ人口が多いのも当社の特徴です。私もその一人で、休日はみんなでゴルフに行くことも。気づけば家族より会社のメンバーといる時間の方が長くなっていますね。
当社には、みんなで面白いことをやって一緒に大きくなっていこうという風土があるので、前例のない企画や意見もどんどん採用されています。チャンスはそれこそゴロゴロ転がっていますし、型にはまらず新しい番組作りや新ジャンルに挑戦していきたいという方にはピッタリな環境ですよ。私もゆくゆくは、テレビだけにとらわれずWEB配信やイベントなども含めて制作領域を広げていきたいと思っています。
- 担当番組
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- テレビ朝日
- 「路線バスで寄り道の旅」
「ザワつく!路線バスで寄り道の旅」
「メタバース六本木 配信イベント」
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- テレビ東京
- 「家、ついて行ってイイですか?」
「ニッポン全国スゴ親FILE」
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- フジテレビ
- 「あなたのコネのおかげです」
「発見★街頭インタビュー!」
「超絶限界 ~ソコまで見せる!?大百科~」
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